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昭和の時代がまた遠くなってしまった。プロ野球歴代3位の通算567本塁打、同4位の通算2566安打、同3位の通算1678打点を記録した門田博光さんがこの世を去った。74歳だった。 【貴重写真】「40歳で44本塁打」スイング速すぎて写真がブレた奇跡の一枚。激怒させた王貞治&野村克也との再会に、渋カッコいいNum....

コメントは63

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    いい話やね。 スポーツ選手にとってはそういう原動力はとても重要だと思う。
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  2. 2
    昔は南海・阪急・近鉄と関西にパ・リーグ3球団が乱立する時代。 荒くれ者の猛者が闊歩する中で、門田さんのフルスイングは特に印象に残った。 亡くなって数日経つのに、これだけ話題が出てくるというのは、それだけファンの心に残った選手なのだと思う。 ナンバーワン(王さん)はともかく、ノムさんは監督・解説者として晩年までメディアに出続けた。 ただ門田さんはメディアへの露出は減り、兵庫の片田舎で隠者のような生活を送り、闘病生活を送っていた。 もう一度ユニフォームを着る姿を見たかった。
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  3. 3
    ドカベンで、山田太郎と 同じチームの描写が見たかった
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  4. 4
    野村監督の本をよく読んでいて、王監督と門田選手のくだりは野村監督側の視点で知っていた。 門田選手はこんなふうに考えていたんですね。 知れてよかったです。
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  5. 5
    門田さんの身長が170センチと初めて聞いた時、本当に驚いたことを覚えている バッターボックスに立っていると、なぜだか物凄く大きく見えた
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  6. 6
    王さんとノムさんに反発したエピソードは有名だけど、その後の寂しい背中のくだりは初めて知りました。 門田さんは偏屈な職人気質ってイメージだったけど、ものすごく不器用で人情ある人間臭い昭和の野球人だったんだなってこの記事読んで思いました。
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  7. 7
    亡くなられて、どんどん色んなエピソードが出てきますね。野球のために生まれ、打つために力を注いでいた。お疲れ様でした。
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  8. 8
    穏やかな解説で、説得力がありました。どこかのチームで監督をされたら、どんな選手を育てられるのか大いに期待していましたが、結局はそれは実現できなかった。  ノムさん、王さんの前での若気の至りのエピソード。しかしそれが素晴らしいホームラン人生の始まりで、人生何か功をそうするか本当にわからないものです。合掌。
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  9. 9
    鷹番田尻さんもこうやって鍛えられたんだな。今のホークスにこんなにクセのありそうな人はいないだろうし。 門田さんの穏やかな語り口好きだった。ベースボールマガジンの南海ホークスのムックのDVDの野村克也さんとの対談は確執なんか感じさせない、ちょっとだけ不器用だけど野球に対して真っ直ぐな者同士の話が聞けて面白い。両者とも鬼籍に入られるのは早いな。
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  10. 10
    ああ、だから満身創痍で眼も殆んど見えなくなってもバッターボックスに立ち続けたのか。 常人には真似がデキナイ、魂を賭けた恐ろしい程の決意と執念だな。
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  11. 11
    >野球を辞めるまでに絶対に、この2人の間に入るか、3番目に名を連ねるまでホームランを打つんや これまで聞いた中でも最もカッコいい有言実行
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  12. 12
    門田さん側の話を初めて目にしたがホームラン王のナンバー1&2相手に新人の0本塁打が訝しがって追い返せるのはある意味凄い そりゃノムさんが三悪人に挙げるのも無理もない
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  13. 13
    これはすごい話です。門田さんがらこんな言葉を引き出せたこと、すごい力量ですよ。新人記者だったというから運もあるかもしれませんが。とにかくすごい。
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  14. 14
    当時、大阪球場に父と一緒に応援に通ってました。 4番の門田選手を筆頭に新井選手、藤原選手、久保寺選手、香川選手、佐々木選手…etc ピッチャー陣はW山内投手、加藤投手、藤田投手、ニャンコ投手 良くも悪くも個性派の選手が揃ったチームで応援するのが楽しかったです。 当時、年間ボックスシートを購入していたのですが 不人気球団ならでは?か2席分のチケットで 最大5人まで入場出来ると言うおおらかな時代でした(笑)
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  15. 15
    読んで一言、カッコイイに尽きます。 本当にカッコイイ!
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  16. 16
    今頃天国でノムさんに謝ってるかもしれませんね。 門田さんのご冥福をお祈りします。
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  17. 17
    門田さんの話が連日出てきて、南海ファンだった頃を思い出して唸る事が多い。 もうしばらくは話題が続くだろうが、これをもってあの南海ホークスもついに鬼籍に入ってしまうのではないかと覚悟している。
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  18. 18
    田尻さん、貴重な記事ですね。 「口裏合わせ」のエピソードについては読んだことがありますが、「二人の背中」のことまでは知らず。 今週は毎日、門田さんの記事を目にし、 門田さんの現役時代のご活躍を思い出しては、しんみり、寂しくなります。 門田さん、ありがとうございました。ゆっくりおやすみください。
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  19. 19
    いい話だ
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  20. 20
    軽く合わせて運ぶようなホームランを大阪球場で1本だけ見た やれば出来るのに、こだわりのフルスイングは最後まで捨てなかったね
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  21. 21
    何かの雑誌で読んだけど、 ノムさんは、ヒットの延長線が「ホームラン」と、おっしゃってたけど、 門田さんは、ホームランの打ち損ないが「ヒット」と、おっしゃってました。 それほど、1打席1打席を、ホームラン狙っていたそうです。
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  22. 22
    当時のパ・リーグの球場はしばしばガラガラで、テレビ放送もほとんどなく、もちろんインターネットなんて影も形もないからSNSで人気がわかることもない。 そういう環境で技術と身体を磨きに磨く人は、よほど自分と向き合う人だろう。 他人の反応を気にしたら虚しくなってしまっておかしくない。
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  23. 23
    素敵な逸話をありがとうございます。 穏やかで優しい性格を変えてまでもプロ野球一流選手門田博満に徹していたのですね。本当の心優しい門田博満さんを教えてくださってありがとうございます。あるパーティーで門田さんと写真を私のカメラで撮ってもらったら、門田さんが、私が目の前にいるのに、この写真をオレの家に送らせろ、と関係者に言ったので、驚いたことがあります。今思えば、初対面の門田博満選手大ファンを告げた私には言いにくいから、よく知る天理高校後輩の関係者に、撮った写真が欲しいから、ただひたすらストレートにそう言ったのだなあとよくわかりました。ムカっ腹を立てて決して送付しなかったことを今となっては悔いています。
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  24. 24
    本物のプロだ。是が非にも何かを得ようとすれば自分の人生を棒に振る事もある。本物のプロフェッショナルは言うほど簡単ではないですね。
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  25. 25
    やはり偉大な方だった。
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  26. 26
    数年前にインタビュー受けてるのをテレビで拝見したけどえらい怒ってて、何に怒ってたのかと言うと今の選手のユニフォームの着こなしで特に足元のソックスを隠してズボンの裾をスパイクにまでずらしてる選手が多すぎて何考えとんねんと怒っていた それと僕は毎日1500スイング素振りしていて家の床がボロボロになるまで素振りしたけど今の選手でそこまで練習する選手おらんでしょとも言っていた その当時自分は今と昔では時代が違うからねと思いながら見てたけど、この記事見て納得した 門田さんの頭の中には常にノムさんと王さんの寂しい背中があったんだね これは時代に関係なく何かに執念を燃やして寄り道せずに1つのことにストイックに頑張れと門田さんは言いたかったんだろうね
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  27. 27
    その後中年の星と言われる門田博光さんにも当然駆け出しの若き日々があったわけで、後の新人類の様な言動を既に野球界の生きた伝説になりつつあった野村克也さんと王貞治さんに対して言い放っていたことはよく知られているが、その後のお二人の背中を「寂しい背中」と感じて言ったことを後悔していたってのは初めて知りました。 王貞治さんが巨人監督に就任が決定した時、この「Number 」誌で特集が組まれていたが、同じ号で「無名願望 門田博光」と言うグラビア企画が数ページ掲載された。これは少ないページ数ながらいい企画であった。今でも手元に同誌を大切に持ってます。 門田博光さんのご冥福をお祈りします。
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  28. 28
    〉「周りの人にすればワケの分からない論理ですよ こういうのが、一番のモティベーションになったりしますよね。それと、 〉プロ野球はそれだけ微妙な、ほんのわずかな差が分かれ目になる世界なんですよ」 プロ野球に選ばれる人達は皆、野球の天才ですからね。門田さんがおっしゃる通り、差は、ほんの少しのきっかけだったり、運だったり。 それも、日頃の努力の賜物ですよね。
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  29. 29
    いい話です。 一本気の方は誤解される事が多いもの。 大記録を打ち立てた実績は本当に素晴らしいと思います。 人間くさい人柄を垣間見る事が出来た良い記事だと思いました。
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  30. 30
    ノムさんは寂しかったかもしれないが、嬉しくもあったのでは?
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  31. 31
    これめちゃくちゃ良い時期じゃないですか。もっと多くの人に知ってほしい。門田さん お疲れさまでした・合掌
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  32. 32
    悲しくも良い記事ですね……この時点で何年も前に殿堂入りしてる一方で家族は出ていってしまって。自身の生き方に対して反省と後悔もありながらも時間は元に戻らず……という時期だったんでしょうね。かつては子供のために移籍拒否までしたのに「嫁や子供にも嫌われて」か。。
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  33. 33
    門田さんの解説は大好きだったなぁ。ほんとに残念。
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  34. 34
    どの業界も職人気質はヘンコが多い しかし一芸に長ける
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  35. 35
    気難しい人なんだね。 解説聞いてると優しい声してるなぁと思ってた。
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  36. 36
    50数年前にホームラン数歴代1~3位がこういう会話をしていたのですね
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  37. 37
    他の方もコメントされていらっしゃいますが、いい記事ですね! 一瞬、涙が出そうになりました。 門田さんが亡くなられてからまだ数日。追悼記事がたくさん出てますが、個人的にはこれが一番と思うくらいの良い記事かと思います。 またひとつ、昭和が遠くなりましたね。 合掌。
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  38. 38
    誤解されやすいと分かっていても、貫くところがカッコいい。家族にも理解を求めない不器用なまでの生き様かとも思いますが、この記事で救われると思いました。ご冥福をお祈りします。
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  39. 39
    ノムさんが江夏江本門田を南海の3悪人と呼んでたな
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  40. 40
    数々の門田さん記事があるけど、この記事が1番いいな ノムさんも散々、南海の3大悪として王さんとのやりとりエピソードを 語っているけど、門田さんも色々と思うところがあることが分かってよかった
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  41. 41
    王貞治氏、野村克也氏に反発し、その時の後悔が原動力となり偉大なる強打者への道を突き進んだ…。門田博光氏が40歳で二冠を取った時、自分は中学生だったが、普通に凄い打者、凄いプロ野球選手だと思っていたし、今でもそういう認識。意固地だとか、マスコミ受けが悪いだとか、ファンにとってあまり重要な要素でなかったということ。 それにしても、当時は一匹狼の強打者って、何で2人ともヒロミツって名前なんだろう、と、奇妙な偶然にほくそ笑んでいた記憶がある。
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  42. 42
    本当にいい記事。 王・野村の教えに反発したというのは知ってたけど、それが原動力になっていたなんて。。読んでよかった。
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  43. 43
    ファミスタ 南海なつかしい
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  44. 44
    球けがれなし道けわしってのを地で行ってる感じやなあ。子供時代からの南海ファンで片平さんと共に好きな打者でした。ダイエーになって同い年の吉永選手が出てきた時は門田さんっぽくてワクワクしたなあ。
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  45. 45
    有名な王さんにノムさんが頼んで門田さんを説得しようとした話は、これが一番正しい内容なんだろうなと思った。
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  46. 46
    その50年以上前の「三者会談」の顔ぶれが、後に本塁打数1~3位になるのだから凄い話です。 西宮で 大阪で 強烈なホームランを何発も見せてもらいました。 ゆっくりしてください.......
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  47. 47
    高校野球部の偉大なる大先輩(天理高校野球部) このような大先輩がいる事を誇り高く思います️
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  48. 48
    ホークスの呉キャンプをよく見に行った。全球サク越え狙いとしか思えないハンパないフルスイング、すさまじい打球音はまさに門田の前にも後にも門田なし。デビッド、グッドウィン、ハモンドらに混じった打撃練習は十分お金が取れた。感動する記事。南海最後のホームゲームで流れたトランペットの演奏がよぎり、今にも涙が溢れそうです。ありがとう、お疲れ様。 空の上で野村さんらといつまでもプロ野球を見守って下さい、合掌。
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  49. 49
    昭和の時代に活躍した選手の中で、もし実現可能ならば、最も現代野球でプレーしてもらいた選手。足の故障が無ければ、ホークスの後輩、柳田の先を行くトリプルスリーを成し遂げたかも知れない。今の球場のサイズでも軽々ホームランを打ったはず。
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  50. 50
    いい話だな~、じ~んときた、本当にプロの世界の厳しさと人間の機微を感じずにはいられない話ですね!インタビュー記者さん「ナイスプレイ」でした!ありがとうございます。
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  51. 51
    門田さんや野村さんのホームランは映像でしか見た事のない自分。唯一王さんのホームランだけは昭和50年に修学旅行で行った後楽園球場ナイターで見た1本きり!ライト側スタンド上段観戦でライトスタンドに打ってくれた。今も脳裏に焼き付いています。監督が長嶋さんだった!それにしていても門田さんが亡くなり人物像の奥深さを改めて知るというのは何とも皮肉というか寂しい。野村さんは教え子達が監督等して活躍しているが、門田さんはその流れには当てはまらない独特の世界観を持っていたのでしょうか?!門田さんのバッティングフォームを一度見たかったです!あちらの世界で指導者になるのでしょう。
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  52. 52
    初めて知った ありがとうございます 嬉しいです
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  53. 53
    普通は王さんの前であんな赤っ恥をかかされたら、嫌われて干されるか早々にトレードされていたはず。 それでもノムさんが使い続けたのは、ひとえに門田さんの実力を買っていた証拠だと思う。 もしあれが広岡さんだったら、ホークスにいる限り出番はなかったろう。
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  54. 54
    わかるわ
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  55. 55
    昔々の話だが、プロ野球スナックのオマケカード、我々の時代は王、長嶋は勿論、巨人が全盛期なので、大阪在住の私であってもファンの阪神はともかく、パの在阪3球団の選手が出た時は正直ガッカリ感は否めなかった・・勿論、カードになる選手は各球団の主力だろうが、なんせ当時はパの試合はテレビ中継か無いので顔を知らない選手ばかりだったからね・・今から思えば当時のパには燻銀の職人が多かったですね!
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    門田、ナイマン、グドウィンの60番トリオてのもあったな。途中からバナザードが来たけど…。
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    オールスターやオープン戦のたまにある 中継でしかプレーしてる姿を見られんかったけど、カドさんが170そこそこって 全然思わんかった もっともっと大きく見えたし
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  58. 58
    門田らしい話しやと思った。そう門田は野球選手としては小さかった。それが歴代3位のホームランを打った。大阪球場で見た門田残せスイングは誰よりも大きかった。あの大きなスイングでボールをとらえるのだからスイングスピードは桁違いだったのだと思う。僕が知る門田はテレビを通して見た門田だ。物静かで焼物を趣味とした門田だ。気難しいなんて知らなかったな。多分、チームメートとの付き合いが悪かったに違いない。
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    田尾さんが引退の時に、唯一の後悔が門田さんみたいに全打席フルスイングをしなかったことと語っておられました。引退直後にテレビの企画でのOBの試合だったかで、フルスイングでライトスタンドにホームランかっ飛ばしてた田尾さんがいました。かっこよかった。
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    確かに門田さんにはとっつきづらい、ぶっきらぼうな印象がある。 それだけ自分を追い詰めてたんだろうな。 記事にもあるように自分自身に妥協をしたら、全てが崩れるような思いだった。 元広島の前田さんなんかも、今テレビで見せる顔は現役時代と全然違うもんなぁ。 でも野球人としては大成功したけど、人生としては幸せだったのかなぁ。 どうしても孤独な部分が見えてしまう。 華やかな世界ほど、その世界から離れると孤独になるんだろうな。 寂しいな。
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    張本勲、衣笠祥雄、門田博光 現場に関わる仕事は一切していない。 見たかったなあ 門田博光さんの コーチや監督
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    南海の三悪人のひとりとか言われていたようだが、素行がどうこうという以前に求道者の面があまりにも強すぎて偏屈な変人として名が通ってしまったんかな。技術論の独自性もあいまってまわりにいまひとつ理解されなかったところといい、榎本喜八さんとどこか重なるイメージがある。
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  63. 63
    寂しい背中・・ ネットでチョイ読みするのが申し訳ないような良い記事。
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